津波と災害<岩手県・陸前高田市>
元々、松の木が生い茂っていた場所には、1本の松しか残ることもなく全ての街の風景を
無とかした。街の風景がなくなった今残るのは、気のくずの海だった。
元々、松の木が生い茂っていた場所には、1本の松しか残ることもなく全ての街の風景を
無とかした。街の風景がなくなった今残るのは、気のくずの海だった。
津波による壊滅的な被害の中、神社の鳥居はそこに変わらず鎮座していた。
気仙沼市場周辺は、破壊の規模が工業地帯ということもあって、想像を遥かに超越していた。
沿岸部に位置する南浜町は、津波の被害と同時に二次災害により火災が発生した。
小学校の校舎は、焼け野原とかしその光景は広島と長崎を思い起こさせる景色に近かった。
潮風と廃棄物と死臭が混じりあり何ともいえない匂いを醸しだしていた。
南三陸地方の入り組んだ地形は、10km近い奥地まで壊滅的な被害を及ぼした。メディアでは、
報道されているものの、未だ手つかずの場所ばかりだった。
街中が津波の被害により、クシャクシャな世界に変わっていた。自衛隊の職員が、雨の中
復興の為に身を粉にして働いた。道路はある程度復旧していたが、余りにも被害が大きすぎ
手つかずだらけの場所だった。
遅くなりましたが、
これから被災地の写真アップしていきます。
今、ドイツの方でもチャリティー募金のために写真を提供しています。
もし今後そのような活動で写真を必要とされている方がいらっしゃいましたら
ご連絡ください。無償で写真データ貸し出しいたします。
遠洋漁業、マグロ漁船で名高い気仙沼市、鹿折町は震災により壊滅的な被害を受けた。
津波、地震による二次災害により海は焼け野原になり、町も火の海になった。400t近い
船が未だに解体することなくごろごろと町の中に散乱していた。
以前からお世話になってます。
フォトグラファー和田氏。
GWにかけて被災地を訪れ撮影に従事する
和田氏の活動応援します。
4月は、身近な方々から多くのしあわせを頂きました。
友達の子供の出産、開業、結婚等々。
どうか皆様の末永いお幸せ心よりお祈り申し上げます。
4月29日付けのLa Lettreにて東日本大震災の写真と文章
寄稿させて頂いてます。
ご尽力頂きました、
日本外国特派員協会ライター、ルーシー・バーミンガム氏、
Zen foto Gallery 、マーク・ピアソン氏に
この場をおかりしまして感謝申し上げます。
http://www.lalettredelaphotographie.com/entries/tohoku-images-of-a-disaster