カンボジアを愛したカメラマン

この1ヶ月間、
休む間もなく働き続けていた。
11/3〜11/5まで、
TUKUBA STUDIOにて立て込み作業のため
東京を離れていた。
3日間の合宿生活を終え
電車で帰宅途中、なぜか8年前にアジアを旅した時に、
出逢ったカメラマンのことが思い出され、気にかかった。
帰宅後、インターネットで彼を検索すると思いもよらないことが
そこには書かれてあった。
カンボジアで出逢った遠藤俊介さんは、
去年の7月に急性骨髄性白血病により逝去。享年29歳の若さで
この世を去っていた。
言葉を失った、、、、
あのとき、カンボジアのシェムリアップで一緒にドミトリーをシェアした。
彼が撮影したカンボジアのモノクロ写真からは、被写体を通して
彼の暖かく優しい眼差しが写し出されていたことを、今も鮮明に覚えている。
知的で寡黙な彼は、特に多くを語る訳ではなかったが、
カンボジアに対する愛情はもの凄かった。
彼の残した1冊の書籍の最後にこう書かれてある。
『カンボジアで撮影を続けていると、カンボジア=危ない、貧しい、地雷だらけ……そんなことばかり言われた。だから、貧しいけれど笑顔のカンボジアを撮り続けようと決めた。』
飾りけのない力強い言葉だと思った。
遠藤さん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

秋の風

暑い東京の夏も終わり
過ごしやすい季節へと変わって来た。
フリーになってから何かと忙しい毎日を送っているが、
取材へ向けての準備、様々な仕事をこなしながら
日々の時間を大切に過ごしている。
そんな中、新たな人との出逢いが
今までにない、インスピレーションを与えてくれている。
限られた時間の中で、どこまでやれるか
目的に向けてひとつずつ確実に固めてゆきたい。

既成概念

環境、情報、経験と共につくられてゆくもの
日々生活する中で、様々なものが無意識の内に視覚に入ってくる
何か一つの言葉を発した時に
そこから何かをかいしてイメージされてゆくものがある
経験を重ねることは貴重なこと
しかし
経験が故に慣れてしまい
それがあざとなる場合もある
無数の情報が氾濫している時代だからこそ
中道をみつめたい

エルフラメンコ

スペインの情熱のダンス
フラメンコを観にいってきた。
タップダンスに刻まれる、魂の音色。
素晴しいステージだった。
そして、その音色はいつかの言葉を連想させた。
『人間は必ずしも 成功することが 喜びであり 大事なのではない。
闘って、後に崩れる。その絶望と憤りの中に、強烈な人生が 彩られることもある』
真っ赤な舞台とタップ、バックコーラスから
熱いハート、人生模様を感じた。
ステージを飛び交う汗が美しかった。
熱い情熱が内なる心を駆け巡った。

Vigour(Bruma)

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元氣それは希望への架け橋

Shine(Bruma)

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少女の輝きは、生きる勇気を与えてくれる

あれから7年

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今日で、ニュヨーク同時多発テロから7年が経つ
先行きに見えない、イラク、アフガニスタンのテロ事件
泥沼化が続く中、今もなお一般市民の犠牲者が増え続けている
全ての始まりは、パレスチナから始まっている
メ・ニ・ハ・メ・ヲ
その先には争いの集結はないと思う
アメリカの行く末
今後の大統領選に明るい未来への兆しは見えてくるのだろうか

時代を駆け抜けた二人

白洲次郎と白州正子展を観に行って来た
お互いに信じた道を貫いた夫婦から
生涯貫き通したポリシーと美意識を感じた
印象的だった
白洲次郎のプリンシンプル
・筋を通す
・弱い人に優しく
・私なくして
・豊かなユーモア
一貫した人生の生き様が力強く印象的だった
全ての美意識の探求は
生活スタイル、日常生活の中から始まっている

恩師からの贈り物

今日の朝、
学生時代からお世話になっている
恩師の方から贈り物が届いた。
フリーランス独立に向けられたお祝いの品だった。
凄くうれしかった。
見近な人に支えられ、
漸く歩き始めた今の道
大切な方々への感謝の気持ちを
忘れずに歩みたい続けたい
金氣先生
有り難うございました。

この1週間

新しいアルバム作りの打ち合わせ
フォトコン提出作品をプリントしまとめた
漸く一段落
これから
来年年明けの取材活動に向けて準備に入る
下調べをする時点から取材は始まっている
今まで温めてきた想いを
具体的に
まとめてゆきたい