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同感を覚えたコメントから抜粋。

“映像において大切なことは、写っている物ではなく、写っている物と写っていないものの関係性が読み取れるかどうか、
そこに偽りがないかどうかだ”

”本当に大事なことを人に伝えようとする時、もし簡単に伝えられるならばそうした方がいいに決まってる。
しかし、わかりやすく伝えようとしても、事実の重みを知るがゆえに、そう易々とできないことがある。
単純化してその重みを消してしまうのではなく、その重みを重みのまま伝えること。
私が信じて頼りにする表現の力とは、そういうものだ。”

”いい写真かそうでないか、好きか嫌いか、わかるかわからないかといったことが写真において議論されることがあるが、
私にとって、そういうことはどうでもいい。私が写真を見る基準は、その写真に信頼ができるがどうかに尽きる。
信用ではなく、信頼。嘘か正しいかではなく、その写真の力を信じて頼ることができるかどうか。”

S氏

”『なぜそこまでして撮影に通うのか』と問われれば、『こちらが本気にならないと、相手が本気で返してくれないだろう』
と答えるだろう。人に対しても、自然に対しても、見えない力に対してもそれは変わらない。
続ける事で自分も相手も変化し、その変化の過程にこそ驚きや成長、感動やシャッターチャンスが潜んでいる。
そこを端折っては結局浅いものしか見えて来ない。対象と真剣に向き合う事、自分の心に忠実である事、続ける事、
それらがものづくりの根幹にある。”

”結局、私にとって『写真』以前に『人』が在るのだと思う。人としてありたい。
そう願う心が、自分に欠けているものを埋めるために、ある場所へ、ある人の元へと通わせるのだろう。
自分が求めているものが目指す先にあって、対象の懐が深いほどのめり込んで行ける。
それは信仰と同じようなものなのかも知れない。必死にあがくことでその都度、道は開かれれる。
意思を貫くには、精神的な強さと人の支えが不可欠な事も改めて学んだ。そして撮影を通じて、
言葉にできない、でもまさに感じるものに『写真』としての命を吹き込む。
撮影、現像、暗室でのプリント作業。その繰り返しから、いつしか作品が生み出される。”

K氏